みどころ

みどころの概要を見る

<ようこそシーボルトの日本博物館へ>
 ドイツ人の医師・博物学者で19世紀に二度にわたり来日したフィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold,1796.2.17-1866.10.18)は、江戸時代の日本に近代的な医学を伝える一方で、日本の自然や生活文化に関わる膨大な資料を収集し、ヨーロッパに持ち帰りました。シーボルトの日本研究が、帰国後に出版された『日本 Nippon』(1832-1882)や『日本植物誌 Flora Japonica』(1835-1870)、『日本動物誌 Fauna Japonica』(1833-1850)などに結実し、後世の日本学や植物学、動物学に大きく貢献したことはよく知られるところです。しかし、シーボルトが自身の収集したコレクションをもとに、日本をテーマとした博物館展示を熱心に行ったことについては、ほとんど紹介されていません。

<ヨーロッパ各都市で開催>
 シーボルトは、一度目の日本滞在中の1824(文政7)年に、早くも日本博物館を構想。帰国後、ライデン・アムステルダム・ヴュルツブルク・ミュンヘンの各都市において日本展示を実現しています。当時のヨーロッパでは、ヨーロッパ以外の地域の民族や文化への関心が、王侯貴族にとどまらず市民の間でも高まり、近代的な博物館展示や、学問としての「民族学」が胎動しつつありました。シーボルトがおこなった展示は、のちの万国博覧会における日本紹介や、ジャポニズムによる日本趣味に先駆けて試みられた、初めての日本展示だったといえるでしょう。シーボルトが二度の訪日に際してそれぞれ持ち帰った民族学的資料については、彼が企画した日本展示を構成するという明確な目的のもとに収集されたものだったのです。
 本展では、6年間にわたるシーボルト関係資料の総合的な調査によって得られた新しい成果をもとに、シーボルトがヨーロッパで実際におこなった日本展示に焦点をあてます。


<シーボルトの描いた日本像>
 シーボルトが、日本の文化や社会をどのように観察し、どのような観点から収集をおこなったのか、また「異文化としての日本」を西洋においてどのように紹介しようとしたのかについて、各都市でおこなわれた展覧会に関わる資料や、シーボルト自身の記述をもとに検討します。なかでも、シーボルトが亡くなる直前にミュンヘンで開催された「最後の日本展示」を、長男アレクサンダーが残したリストをもとに復元的に紹介し、シーボルトの描いた日本像に迫ります。


<日本人の暮らしをとじこめたタイムカプセル>
 シーボルトが日本を訪れた江戸時代後期は、明治維新を目前に、日本人の暮らしが大きく変化する兆しが見え始めた時期でした。第一次日本滞在の1823(文政6)年から1828(文政11)年、そして第二次日本滞在の1859(安政6)年から1862(文久2)年のあいだに収集されたシーボルト・コレクションは、まさに日本人のなりわいや暮らしを閉じ込めた「タイム・カプセル」といえるでしょう。そこには、日本人が心のよりどころとしながらも、現代ではほとんど失われてしまった価値観や文化の原点ともいえるもので溢れています。
 これまで、シーボルトの収集資料としては、一度目の来日時のコレクション(ライデン国立民族学博物館所蔵)が注目されてきましたが、ミュンヘン五大陸博物館(旧ミュンヘン国立民族学博物館)が所蔵する二度目の来日時のコレクションは、彼の構想した日本博物館をより充実・完成させる目的で収集されたという点で、極めて重要な意味をもっています。
 今回の展示では、シーボルト没後150年を記念して、終焉の地ミュンヘンに残したコレクションの全体像を紹介し、シーボルトの日本博物館という新たな視点から、この貴重なコレクションを再構成します。

閉じる


本展のみどころ



トップへ